真冬の鵜舟
- 深山 健太郎
- 2021年2月21日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年3月14日
清く澄んだ長良川に浮かぶ真冬の鵜舟。船体に使われたコウヤマキの色合いが、うっすら雪化粧をした金華山や、長良川の蒼さと相まって、とても美しく感じられます。
なぜか一艘の鵜舟だけ、ブルーシートが外されていました。ふと、ブルーシートなどなかった時代に想いをはせてみました。
昭和38年までは、2月から3月中旬の間、鵜舟はこの様にいつも鵜飼河戸(うかいこうど)に留置かれることはありませんでした。“せんじ”と呼ばれるへっついと鍋釜が一式になった炊事用具、漁具、わずかな日用品を鵜舟に積み、冬の鵜達の餌確保と訓練のため、船団を組んで皆と一緒に寝泊まりしながら、川の生魚を捕えに出かけるのでした。これを「泊まり餌飼(えがい)」といいます。 行先は長良川や揖斐川の支流です。そして夜は舟を連結し、筵(むしろ)を敷き、棟桁(むなげた)と呼ばれるヒノキの支柱に、苫(とま)と呼ばれる菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、“こも”の様なものを被せ、簡易テントを作り根城としました。
「餌飼」には「泊まり餌飼」の他に「陸(おか)餌飼」「川餌飼」があったそうです。
・川餌飼………日帰り。鵜舟で鵜を引き連れ、長良橋付近で放ち鵜飼をする。
10/15の鵜飼じまいから11月初旬まで。
・陸餌飼………日帰り。大八車で鵜を陸送し、長良川の支流で鵜飼をする。
11月初旬から11月中旬まで。
・泊まり餌飼…11月中旬から12月下旬。2月から3月中旬まで。
※年始から1月一杯は「川餌飼」あるいは「陸餌飼」のどちらか。
この様にローテーションで行われていた「餌飼」ですが段々と実施が困難な状況が生まれます。
昭和24年の岐阜県漁業調整規則の改正で鵜飼漁の期間が5/11~10/15までと定められ、更に工場廃液、廃棄釣り針、農薬などによる河川環境の悪化や、他の川漁師の漁具と干渉し、餌飼の度に貴重な鵜が落命することが度々起こりました。
昭和34年の伊勢湾台風以降は川の地形がすっかり変わり、漁獲が極端に落ち、漁獲が少なく体重が軽くなっていた鵜が、餌飼の時の放ち鵜飼(手縄をつけない状態)で羽根を乾かした際、突風で吹き飛ばされて逸失するという事態まで発生しました。
時期を同じくして北海道産の冷凍ホッケが安価で入手できる様になった為、次第に餌飼は廃れていき無くなってしまいました。
実際、厳冬期に川船で寝泊まりするのは、かなりの試練で、終盤はスクーターや自転車を積んで、船は係留したまま夜は家に泊まりに帰っていく船頭さんも居たそうです。それに比べれば、鵜の餌代は高騰したとは言え、便利で過ごしやすい時代になったのでしょう。

時代と共に、利便性の追求で無くなる風物詩はまだまだ増えていくかも知れません。だからこそ、この長良川界隈の様々な鵜飼い習俗を、今しっかりこの目に焼き付けておきたい、しみじみとそう思った川辺の景色でした。
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