鵜供養 ―鵜との絆―
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- 2023年10月31日
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鵜供養の概要
ぎふ長良川の鵜飼では毎年鵜飼終了後の最初の日曜日に、命を全うした鵜を供養するため、岐阜観光コンベンション協会の主催で鵜供養が鵜塚にて行われます。また供養の後 長良川に移動し、鵜に関する俳句をしたためた短冊を長良川に流す短冊流しが行われます。鵜供養は一般の人も参加できます。

鵜供養の様子
今年は2023年10月22日に鵜匠・関係者ら約20人が参加して行われました。主催者等のあいさつ、本誓寺の僧侶による読経に続いて、鵜匠を始めとする関係者の焼香が行われました。供養の最中は鵜塚近隣の住民の方も外に出てこられ手を合わせてみえました。
その後山下哲司鵜匠宅前に移動して、篝火をたいた鵜舟に導師、鵜匠らが乗り、鵜にちなんだ俳句を記した短冊を川に流しました。河畔からは私達長良川鵜飼文化応援団会員や他の参列者の方々も短冊を流しました。

鵜塚
鵜匠による鵜の供養自体は百数十年前より行われていますが、1983年(昭和58年)10月16日に鵜飼関係者の浄財により長良宮口町の霊天庵に塚が建立されました。2003年(平成15年)3月の長良古津橋線道路整備に絡み2004年に現在の地、岐阜県岐阜市長良大前町1丁目に移転されています。
霊天庵はもともと尼寺で、山下哲司家の親戚の女性が尼として庵主をしていたといわれていますが、現在は廃寺となり鵜塚のみが残っています。
短冊流し
この行事の起こりは、公益社団法人岐阜県俳人協会会長であった近藤一鴻氏が、せっかく鵜塚があるのだから、鵜飼という伝統を支えてくれた鵜に感謝と弔いの気持ちを示す意味で供養をしたらどうかと提案したところによります。この縁により鵜供養には俳人協会の方々も参列されています。 鵜、鵜飼、鵜篝、鵜籠、鮎、鵜匠、鵜舟は夏の季語です。
鵜との絆
鵜飼開催中もオフシーズンも鵜匠と鵜は一年中共に生活し、鵜匠は鵜を「家族」「兄弟」「子ども」「相棒」などと表現し、鵜も鵜匠を大切な存在として認識しているようです。年老いて漁ができなくなり鵜飼を引退した鵜も、引き続き鵜匠の家で暮らします。鵜供養は、鵜匠の鵜に対する愛情や絆を示しています。
参考資料
岐阜市教育委員会社会教育室 編集「長良川うかい習俗調査報告書(初版)」
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